2008年08月01日

第11章:6〜子供の側からの叫び

バスカリアという人の著書の一つに次のような言葉が出て来ます。


「あなたが何者であるかをあなた自身に向かって証明するために、何故あなたは私の人生を使おうとしたのか?」


子供の人生を使って、自分が生きているという実感をつかもうとした親は、子離れが出来ません。
そう、これは子供の側からの叫びなのです。
また次の言葉も出て来ます。


「あなたが考えるようにわたしが考えない、またあなたが見るようにわたしが見ないからとわたしを非難するとき、あなたはわたしを反逆者と呼ぶ。
あなたの信念をわたしは拒否するとき、実はそのたびにあなたの方がわたしの信念に反逆していたのです。」







僕らの大多数は神様という存在を知りません。かくいう僕自身、30年間も神様を知らずに生きてきました。
しかし教会へ行き、真の神様を知ることが出来たのです。
それは決して「御利益信仰の神」などではありません。この地球を創った想像主なる方なのです。

僕の知人が一度ヤンバルに案内してくれました。
僕がバイクで絶景を見に行く趣味を知ったからでした。そこは彼自身が誰にも教えたくないといわしめる程の絶景です。
大切な彼の安息の場所でもありました。そこを一緒に眺めながら彼は僕にこう言いました。


「君が神様を信じていることは知っている。僕はまだそのことは分からないけどね。
だけど…この風景を見てると創造主というのはいるんだろうな〜と確信するんだ。その創造主が神様かどうかは知らないし関係ない。
今の僕にはこの景色から満たされるモノ…それだけで十分なのだから」


それほど大切な場所を教えてくれたその知人は沖縄に旅行にきて、この場所を見て沖縄に、この場所の近くに安住しよう!と決意したのでした。






「また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。
そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです」

〜聖書・コリント人への手紙第一3章22、23節〜






親が子供を親不孝者と呼ぶとき、実は親自身こそ子供を全く愛していなかったということに気がつきません。

同じように僕らが神がいるなら何故僕は幸せになれない!と神を反逆者呼ばわりしているとき、実は僕らこそが神の信念に反逆しているのです。






人は自分の欲望を満たすことが幸せへの道だと考えます。
しかし神の考え方は反対にあるのです。
子供も神様も、御利益信仰ではないのです。








今日も最後までお読み下さり感謝します。



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