2008年05月13日

第8章:5〜不公平の極端な例


精神医学の本にはある強烈な言葉があるそうです。

それは…「家族の中で《血まつり》になる子がいる」です。

血まつり!そんな大袈裟な!!という人は、体験したことがない幸せな家庭で育ってきたのであり、中にはそのように不幸な中で育ちざるを得ない子もいるというのです。
それは家族の誰かを(イジメて)犠牲にして、家族の融和が保たれているということなのです。

この血まつりとは、不公平の極端な例なのです。

兄弟喧嘩の一切を「こっちは疲れているのに何を騒いでいるんだ!」と父親が禁止していたとしたら、例えば弱い立場の弟(妹)は兄(姉)の仕打ちにじっと耐えなければならないでしょう。

しかしそのような中で育った子供は、「自分はそのようなものなんだ」と自己を過小評価してしまうのです。

そうなると前にも書いたように自分には成功何てものは必要ない、またそのような舞台には立ちたくないと思うような中学、高校生へと成長していってしまうのです。










些細な兄弟喧嘩は、ほっといてさせてあげましょう。
また何でもかんでも親が裁くのではなく、子供同士でどうするか見守ってあげましょう。

その中で子供たちはお互いの良い所、認める所、従う所などを体験していくようになるのではないでしょうか。
それが一番良いのは伸び伸びと出来る家庭内というのは言うまでもありません。




もちろんそのためには、親である僕らが変わらねばなりませんね。











今日も最後までお読みくださり感謝します。
  

2008年05月12日

第8章:4〜兄弟喧嘩


家族間の仲が悪い家庭があります。

家族間の仲が良い家庭があります。

この両者の違いは何でしょう。違いはどこから来るのでしょうか。







著者は自分の子供時代のことを綴っています。それを見てひも解いて行きましょう。







幼い頃から兄弟ゲンカのたぐいを一切禁止されてきました。
ささいな口ゲンカでも、父親はもの凄い不機嫌な顔を睨みつけてきました。

「あ〜ぁ、いやだな〜」

と腹の底から絞り出すような声を出されました。

兄や姉は良くイジメてきました。それにも黙って耐えるしかありませんでした。
不当なことは多々あったのに、黙って耐えたのです。
父親の、眉間にシワをよせた憎悪の暗い眼差しに責められるよりは、まだ耐えた方がマシだと思えるようになっていったのでした。











著者だけじゃなく、このような家庭は少なからずあるでしょう。何故このような状態になってしまうのでしょうか。

それは父親が「専制支配的」であるからなのです。

父親だからと支配的になっている場合、大抵の家庭には笑い声が耐えない…といったものからは遠く離れています。

逆に父親が子供の目線に下りて、同じように遊んだり会話したりする家庭や、多少のことでは怒らない心の広い父親だと、やはり家族間には笑い声が響くでしょう。

しかし専制支配的だと、全てがやることなすこと父親の機嫌次第です。
子供たちはいつも父親の顔色を伺いビクビクしながら過ごすようになります。







いったい誰がそのような家に帰りたがるでしょう。しかし子供は黙って耐えるしかないのです。







そうなると家族間の仲が悪くなるのです。仲が悪ければケンカになるのは当然なのに、それも禁じられるとどうなるのでしょうか。

すると子供は、その不平不満を最も弱い末っ子をイジメて心のバランスを取るのです。








昨今兄弟喧嘩がもたらす被害が度を越えるNewSが流れてきます。
それは父親から流れてきた結果…ということが多々なのです。
それほど父親の影響力は家庭にとって絶大であるのです。










今日も最後までお読み下さり感謝します。
  

2008年05月08日

第8章:3〜近いからこそ少しの違いも許せない


自分が相手よりも損をすると、誰でも不満になります。

しかし逆に自分は得をしているのに、それよりももっと相手が得をしても不満になるものです。

今日はそんな話を聖書の中から取り上げてみます。










カインとアベルという兄弟がいました。

兄カインは土を耕し、弟アベルは羊を飼って暮らし、両者共に満足な生活を営んでいました。

そしてそれぞれの所有物であるものから、神に供え物をしました。

そのとき神はアベルの供え物に目を留め、カインの供え物には顧みることをしませんでした。

結果カインは弟アベルに対して嫉妬の炎を燃やすのです。
なんと弟アベルを野原に誘い出して殺してしまいました。
ここに人類史上初めての殺人事件が起きたのでした。しかも兄弟間で…という大変ショッキングな事件でした。









それは人の妬み、嫉妬心から生まれる感情がいかに重大なことであるのかを表現しています。

妬みを心のそこに押さえこんでしまうことが、その人の一生を決めてしまうことになる…そう教えてくれるのです。

カインはその重い罪を背負いながら、残りの一生を放浪者として過ごすことになります。




更には兄弟という両者の近さゆえの問題が起きました。
近いからこそ少しの違いも許せないのです。










人は余りにも大きな違いには敏感に反応しません。
外国人が物凄い贅沢をしていても羨みこそすれ妬まないのに対し、隣人(隣近所)が少しでも自分より贅沢しようものなら、妬むようになるのです。










同じようにしているのに何故か自分よりもアイツの方が(先輩や先生に)気に入られていた。。。


自分は悪くない、兄や姉が悪いのに喧嘩をすると父母に嫌な顔をされた。。。







同じような思い、あなたにもありませんか。










今日も最後までお読み下さり感謝します。
  

2008年05月07日

第8章:3〜意欲をくじく二つの罪2

人の意欲をくじく原因のもうひとつに不公平が挙げられます。

公明正大、公平でなければならないのです。








1972年、アメリカで二人の男性がある仮説をたてました。





「人は、他人が自分とは違った形で報酬を受けていると知ったら、やる気をなくすに違いない」
というものです。




シュミットとマークウェルの両氏は、2人一組の労働者に、次のような選択を迫りました。

それは、一緒に働けば2人別々に働くよりも「どちらも」多くの報酬を与える…というもの。

しかし、これと言って差をつける理由が無くても、片方が相手よりも多く貰えるようになる…ということを迫ったのです。










【 例 】

別々で働いた場合…

Aさんに20万円、Bさんにも20万円の報酬を与える。


2人一組で働いた場合…
全く同じように真面目に働いた2人なのに、Aさんに25万円、Bさんに21万円与える。










実験の結果、2人一組の労働者の40%が、差別を受け入れるよりは、少ない報酬でも別々に働くことを受け入れた…ということでした。











不公平だと感じると通常の困難も10倍に感じてしまうと言われています。

しかしそれは、同じ困難に耐えていたとしても、皆が公平に耐えているとなれば、それは耐え易く感じるということでもあるんですね。











今日も最後まで目を通して下さり感謝します。  

2008年05月06日

第8章:2〜意欲をくじく二つの罪1

人の意欲をくじくものとして、二つのことが挙げられます。
今日はその内の一つを取り上げます。


それは「信頼を裏切ること」、分かりやすく言えば約束を破ることです。
例えば17歳になったらバイクを勝ってあげる、と父親が息子に約束しながら、それが実現されないと、息子だけでなく家族の意欲までをも壊してしまいます。




次のような研究がされました。







信頼性と経営幹部になる可能性は関連があるのか?という研究がある場所でされました。

ノースカロライナのリーダーシップセンターなる場所で行われたこの研究で、人生の途中で道を踏み外した21人の経営幹部と、
トップにまで上り詰めた21人の経営幹部を比較したところ、顕著な結果が出たとのことでした。










みなまで言わなくとも分かりますよね。









道を踏み外した21人に共通していたのは「信頼関係・約束」というものはうわべだけで、目的のためには手段を選ばない…つまり、裏切り行為をいとも易しとしてきた人々だったのに対し、
トップまで上り詰めた21人は、自らが約束を破ることなく周りとの信頼関係を築いてきた結果…となったのでした。













家族においても、まず親が約束を果たすということを見せなければなりません。
親との約束が守られてはじめて、子供は「信頼する」ということを覚えていくのです。













今日も最後までお読み下さり感謝します。  

2008年04月28日

第8章〜公明正大な中で育った子は正義心を持つ



公明正大…公の中と言えば実は外だけではありません。家庭の中も含めた自分の周り全てに対して使う言葉です。

人は一人では生きていけません。周りがいるから自分が生きる場所が見つかるのです。

そんな周りに対して明瞭な姿勢、正しい見解で接していくことが人として大きな歩を進めていくことに繋がります。

家庭が公明正大な中にあれば、子供はそれを学んで育って行くものです。

しかし公明正大な中で育たないと、人は他人はもちろん自分さえも信頼出来なくなるのです。

正義を愛するどころではありません。正しく生きて人に認めてもらおうというこころの姿勢すらなくなるのです。

そのように陥ってしまえば何が正義で公平がどうとかいうことは、その人にとって重要な問題ではなくなってくるのです。

それで社会や大人に対して反抗して戦ったりするし、またある人たちはどうしたら人に気に入られるのか、仲間外れにされないためにはどうしたらいいか…ということばかりを気にする人間になってしまうのです。







この章では公平な中で育った子はまた、公平を学ぶということを勉強していきたいと思います。







最後までお読み下さり感謝します。