2008年04月24日
第7章:7〜労苦の実を愛する子供へ
ネリーのような悲劇を生ませないためのひとつのヒントを、聖書のみことばから勉強してみましょう。
イエスは彼らに言われた。
「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。
あなたがたは『刈り入れ時が来るまでに、まだ四カ月ある』と言ってはいませんか。
さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
すでに刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。
それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。
こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る』ということわざは、ほんとうなのです。
わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。
ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」
〜ヨハネの福音書4章34から38節〜
…『刈り入れ時が来るまでにまだ四カ月ある』と言ってはいませんか。
とは、厳密には
「聖書のみことばを知らない人々に知らせてあげなさい、そしてイエス・キリストの話を聞かせてあげるために、教会へお呼びして下さい」
となります。
これは先にみことばを信じた者が、後から信じた者と共に喜ぶためだと言っています。
こう書くと冒頭に書いた家庭の話ではなくなってしまいそうですが、そうではありません。
(もう少し辛抱強くお付き合い下さいね)
…こういうわけで、ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取るということわざはほんとうなのです。
…ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。
ここにヒントがあるのです。
教会へ先に来て喜んだ者が、後から来た者とともに喜ぶようになるためなのと同じなのです。
親である僕らが種を蒔き、子供らが刈り取るという図式が実は、全ての人々に当てはまる人生航路図になっているのです。
親は良き実を蒔いて子育てをすれば、子は大人になったときに良き実を得られるようになるのです。
しかしネリーのように良き種を与えられなかった子は、良き実を成らせることは出来なくなってしまうのです!
誰でも種を蒔くときは良い土壌の畑を選びます。
硬い土やいばらがうっそうと茂る地に種を蒔く者は皆無ですよね。
僕ら親が子に対して良き種を蒔くのは、将来その子が良き実を成らせるためなのであり、またその子が自分では労苦しなかった良きものを刈り取らせるためなのです!
そして子供は大人になり、幸せな家庭を築いていくと共に、自然と親が自分にしてくれた親の愛を感じるようになっていくのです!
全ては自分のためではなく、愛する子供のため!これがほんとうの親の愛なのです。
今週もお付き合い下さりありがとうございました。
週末はお休みさせて頂きます。また来週お会いしましょう。
2008年04月23日
第7章:6〜ネリーという女の子の悲劇・後半
ウェインバーグ氏は彼女の人生に2つの問題が起こりはじめてしまったとしています。
さてその問題とはなんでしょう。
第一の問題は、結婚の話が出だすと、恐怖と絶望の入り混じった感情に彼女が襲われる…ということでした。
それは結婚を考えるほど親しくなると、彼女の奥深いところから、
「この男は私ゆえに私を愛しているのではなく、金を払わなくてすむ召使い的、売春婦的な形で愛しているのだ…」
という思いが頭を持ち上げてくるのでした。
第二の問題は、彼女と関わり合いを持つ男は同じタイプの男だった…ということでした。
それは人を利用しようとするズルいタイプの男でした。
しかし、最大の問題がここにあります!
中にはズルいタイプの男では無かったのも、居たのです。
でも、彼女が付き合う男をそのようなタイプの人間にしてしまっていたのでした!
ネリーのような人生を歩んでしまっている女性は、恐らく少なくはないでしょう。
しかも愛する人に尽くす喜びという名目が、顔を覆ってしまいます。
結果は、付き合う男性をダメにしてしまうだけでなく、自分も傷つくという悲劇を負うのです。
ネリーのようなタイプの人は、心中で他人と暖かい交流を持ちたいと強く望んでいます。
強過ぎるがゆえに、利用されるままにまでなってしまうのです。
しかしこれでは肝心の暖かい交流を得ることは出来ないのです。
その後のネリーは、父が臨終に際して弟の方ばかり注意していたことに絶望してしまいます。
幼い頃の満たされない愛情欲求のために、その後の人生を悲劇にしてしまう人は、決して少なくないのです。
明日はこのネリーのような悲劇を子供に歩ませないための、ひとつのヒントを聖書から取り出してみたいと思います。
最後までお読み下さり感謝します。
さてその問題とはなんでしょう。
第一の問題は、結婚の話が出だすと、恐怖と絶望の入り混じった感情に彼女が襲われる…ということでした。
それは結婚を考えるほど親しくなると、彼女の奥深いところから、
「この男は私ゆえに私を愛しているのではなく、金を払わなくてすむ召使い的、売春婦的な形で愛しているのだ…」
という思いが頭を持ち上げてくるのでした。
第二の問題は、彼女と関わり合いを持つ男は同じタイプの男だった…ということでした。
それは人を利用しようとするズルいタイプの男でした。
しかし、最大の問題がここにあります!
中にはズルいタイプの男では無かったのも、居たのです。
でも、彼女が付き合う男をそのようなタイプの人間にしてしまっていたのでした!
ネリーのような人生を歩んでしまっている女性は、恐らく少なくはないでしょう。
しかも愛する人に尽くす喜びという名目が、顔を覆ってしまいます。
結果は、付き合う男性をダメにしてしまうだけでなく、自分も傷つくという悲劇を負うのです。
ネリーのようなタイプの人は、心中で他人と暖かい交流を持ちたいと強く望んでいます。
強過ぎるがゆえに、利用されるままにまでなってしまうのです。
しかしこれでは肝心の暖かい交流を得ることは出来ないのです。
その後のネリーは、父が臨終に際して弟の方ばかり注意していたことに絶望してしまいます。
幼い頃の満たされない愛情欲求のために、その後の人生を悲劇にしてしまう人は、決して少なくないのです。
明日はこのネリーのような悲劇を子供に歩ませないための、ひとつのヒントを聖書から取り出してみたいと思います。
最後までお読み下さり感謝します。
2008年04月22日
第7章:5〜ネリーという女の子の悲劇
現在ニューヨークで精神分析医として活躍しているジョージ・ウェインバーグ氏が、ある一人の女の子の悲劇を紹介していますので紹介します。
ネリーは長女として生まれました。そして弟が出来ました。
しかし弟が生まれるとそれまで自分に向いていた親の注目が弟の方に移ってしまいました。
(良く聞きますよね)
彼女は癇癪(かんしゃく)を起こしたり病気になってみたりと色々やってみますが、父親の愛情深い注目は獲得出来ませんでした。
(ここで注目すべきは、子供は常に親の注意を惹くためなら、出来ることをするのだ、ということです)
ところが「よくお手伝いをするいい子」になると、父親に認めてもらうことが出来たのです。
「お手伝いをすると褒めてもらえるの!」と彼女は思います。
そして従順なお手伝い、それに準ずるもので自分を認めてもらおうという信念が積まれていったのでした。
それから彼女は成長し家を出て、若い男性に会って好きになると、その男性に奉仕してあげることを探しだそうと務めるようになりました。
料理を作ってやるのはもちろん、洗濯、部屋の片付け、彼の大学提出レポートの手伝い、シャツのボタンかけなどなど。
彼の喜ぶ顔。奉仕をすることによって彼が自分を褒めてくれる。彼女はその確信のゆえに、それを続けてしまいます。
さて何が悪いのだろう…と思いますよね。愛する人に尽くして何が問題になるのだろうか?
しかしウェインバーグ氏は、彼女の人生に2つの問題が起こりはじめてしまったとしているのです。
〜つづく〜
今日も最後までお付き合い下さり感謝します
ネリーは長女として生まれました。そして弟が出来ました。
しかし弟が生まれるとそれまで自分に向いていた親の注目が弟の方に移ってしまいました。
(良く聞きますよね)
彼女は癇癪(かんしゃく)を起こしたり病気になってみたりと色々やってみますが、父親の愛情深い注目は獲得出来ませんでした。
(ここで注目すべきは、子供は常に親の注意を惹くためなら、出来ることをするのだ、ということです)
ところが「よくお手伝いをするいい子」になると、父親に認めてもらうことが出来たのです。
「お手伝いをすると褒めてもらえるの!」と彼女は思います。
そして従順なお手伝い、それに準ずるもので自分を認めてもらおうという信念が積まれていったのでした。
それから彼女は成長し家を出て、若い男性に会って好きになると、その男性に奉仕してあげることを探しだそうと務めるようになりました。
料理を作ってやるのはもちろん、洗濯、部屋の片付け、彼の大学提出レポートの手伝い、シャツのボタンかけなどなど。
彼の喜ぶ顔。奉仕をすることによって彼が自分を褒めてくれる。彼女はその確信のゆえに、それを続けてしまいます。
さて何が悪いのだろう…と思いますよね。愛する人に尽くして何が問題になるのだろうか?
しかしウェインバーグ氏は、彼女の人生に2つの問題が起こりはじめてしまったとしているのです。
〜つづく〜
今日も最後までお付き合い下さり感謝します
2008年04月21日
第7章〜4:心を見る
今日は聖書のみことばを載せます。
サウルという王様がいましたが、神に従わずに自分勝手な振る舞いをしたために神はサムエルという賢者にこう告げました。
「わたしはすでにサウルを捨て、王位から退けた。あなたは角に油を満たし行きなさい。あなたをエッサイのもとに遣わす。
わたしはその子たちのうちにひとりの王を捜し得たからである」。
サムエルはエッサイの子供たちの前にきました。
一番最初に長男のエリアブがサムエルの前に立ちました。
その顔は凛々しく、背丈は大きく、体は力強いのを見たサムエルはこう思います。
サムエルはエリアブを見て、「自分の前にいるこの人こそ、主が油をそそがれる人だ」と思った。
しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。
わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。
〜サムエル記16章7節〜
サムエルは全ての兄弟を見たが、そこに居た全ての者は誰一人として主の選びにかなわなかったのでした。
そこでサムエルが彼らの父親であるエッサイに「息子たちはこれで全員ですか」と訪ねます。
エッサイも自信を持って推薦した子供たちでした。それは姿かたち、もしくは日頃の行いが非常に良かったからでしょう。
しかし神には分かるのです。今は忠実でも自分が王となったら初心を簡単に捨てるような者だということが…
父エッサイはサムエルに言います。実はまだ一人、末っ子がいます。しかし彼は羊を飼っていますしまだ小さいのです。と。
聖書を通して神はエッサイが外の顔かたちを見ていたことを、また僕らもそのような者であることを如実に語っているのです。
末っ子がサムエルの前にたたされたとき、主はこう言われたのでした。
「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」
その末っ子の名前はダビデ。後のイスラエルの国王となり、ソロモンを生む偉大な王となるのでした。
「心を見る」
僕らが子供に対し、そのような気構えで接していくことが、子供にとって一番良いことなのは全ての親は分かっています。
それでも、外だけを見て褒めてしまう恐れがあることを心にとめておきましょう。
最後までお読み下さり感謝します。
サウルという王様がいましたが、神に従わずに自分勝手な振る舞いをしたために神はサムエルという賢者にこう告げました。
「わたしはすでにサウルを捨て、王位から退けた。あなたは角に油を満たし行きなさい。あなたをエッサイのもとに遣わす。
わたしはその子たちのうちにひとりの王を捜し得たからである」。
サムエルはエッサイの子供たちの前にきました。
一番最初に長男のエリアブがサムエルの前に立ちました。
その顔は凛々しく、背丈は大きく、体は力強いのを見たサムエルはこう思います。
サムエルはエリアブを見て、「自分の前にいるこの人こそ、主が油をそそがれる人だ」と思った。
しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。
わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。
〜サムエル記16章7節〜
サムエルは全ての兄弟を見たが、そこに居た全ての者は誰一人として主の選びにかなわなかったのでした。
そこでサムエルが彼らの父親であるエッサイに「息子たちはこれで全員ですか」と訪ねます。
エッサイも自信を持って推薦した子供たちでした。それは姿かたち、もしくは日頃の行いが非常に良かったからでしょう。
しかし神には分かるのです。今は忠実でも自分が王となったら初心を簡単に捨てるような者だということが…
父エッサイはサムエルに言います。実はまだ一人、末っ子がいます。しかし彼は羊を飼っていますしまだ小さいのです。と。
聖書を通して神はエッサイが外の顔かたちを見ていたことを、また僕らもそのような者であることを如実に語っているのです。
末っ子がサムエルの前にたたされたとき、主はこう言われたのでした。
「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」
その末っ子の名前はダビデ。後のイスラエルの国王となり、ソロモンを生む偉大な王となるのでした。
「心を見る」
僕らが子供に対し、そのような気構えで接していくことが、子供にとって一番良いことなのは全ての親は分かっています。
それでも、外だけを見て褒めてしまう恐れがあることを心にとめておきましょう。
最後までお読み下さり感謝します。
2008年04月18日
第7章〜3:親の虚栄心子の自立心
家の手伝いをすると褒められる。お使いに行くと褒められる。
もちろん褒めて良い事柄です。しかしそこには落とし穴があることを知らねばなりません。
その落とし穴とは…
「役にたったときに褒められるが、それ以外のことでは褒められない」と子供が思うような態度を親が取りやすいということなのです。
親の役にたったときだけ、親の虚栄心を満たしたときだけ褒めてもらえるんだ…と子供が感じたら、逆に満たさないと愛されないんだ…と考えてしまうのです。
そうなると子供は親を嬉しがらせることで認めてもらおう、可愛がられようとします。
そしてその気持ちは大人になると拡充していくのです。
相手の何か役にたたないと相手から愛されないんだ!と思い込むのです。
ですから
「ただ君が一緒にいてくれること、そこにお互いの意味があるんだよ」
というような愛が理解出来なくなるのです。
まず、自分が小さい頃どのような時に親から褒められたか、またどのように褒められたのか、静かに考えてみましょう。
そしてその褒められ方が、今の自分の考え方にどのような影響を与えているのかを省みて下さい。
幼い頃どのようなことで肯定されたでしょうか。
またどのようなことで否定されたでしょう。
野球部に入ってましたか?バスケ部でしたか?学習塾に通ってましたか。
僕がコーチをしている学童少年野球で考えてみましょう。
昨今の学童少年野球は実は子供たちよりも親が熱くなっています。
躍起になって息子の一挙手一投足を見守ります。
見守るだけなら良いのですが、どうしても厳しくしてしまう親が非常に多いのです。
何故でしょう?
ある子はチームの中心選手で、この子の成績がそのままチームに反映してしまうので常に上を目指させようと尻を叩いているのかも知れません。
ある子は、同級生や下級生より弱冠劣り、レギュラーを奪取させてやりたいと願い厳しくするのかも知れません。
ある子は、親である自分がチームの監督やコーチをしている立場上、他の子供たちと同等に扱えずに一番厳しく接してしまうでしょう。
このようなパターンに陥らざるを得ない子供はどうなると思いますか?
「ナイスバッティング(ピッチング)だったぞ!お父さんは嬉しかったぞ!」
と、声をかけてもらえても…三振したりエラーしたり、声が出なかったりすると、
「何をやっているんだ!日頃の練習や態度がなっていないから、試合でこうなるんじゃないか!」
そうすると試合で成功しなければ、僕は意味が無いんだ!と思うようになるのです。
子供から見て監督や他のコーチは所詮他人です。
ですから厳しく罵声されて涙を流して帰宅したら、慰めて欲しいと心で願っているのです。
所が前述したような親の子供だった場合、大抵は次のようなことが待っています。
「さぁ、今日の反省だ!最低限素振りはしなきゃな!」
厳し過ぎる親になると、素振りを終えないと家に上がらせてあげないようになるでしょう。
違うのです。
僕は身をもって、その失敗を経験したダメオヤジです。
息子二人の心をズタズタにしてしまっていた、最低の父親でした。
これから僕は過去にしてしまったその罪を、刈り取って行かねばならないでしょう。
それはどうなるのか僕には分かりません。
ある日突然、息子の口から「野球辞めるよ」と言われることなのかも知れません。
間に合うかも分かりません。
それは神様にしか分からない領域です。
このように成功したときだけ、親の虚栄心を満たしたときだけ褒められた子供は、それ以外では褒められないことを知ることで、自立心を失って心の中は空っぽの状態で成長してしまうのです。
長文でした。
僕のしがない過去まで目を通して下さり感謝します。
週末はお休みします。また月曜日にお会いしましょう。
あなたの子供と良き週末を!
2008年04月17日
第7章〜2:二通りの褒め方
子供が苦境の中にいたり、周りに認められないときにかける親の言葉は「愛のある励まし」ということを話しました。
それはそのまま子供を褒めるということになります。
しかし褒める仕方には二通りあることをご存知でしょうか。
褒めれば人は自信を持ち、人の好意に感謝し、物事を正しく理解していくのでしょうか。
実はそうだとは限らないのです。同じように褒めたつもりになってはいけない【 褒め方 】があるのです。
「お庭の手入れをしたのか!偉いぞ!」
「お皿を洗ってくれたの!ありがとう!」
「弟の面倒を見てくれて助かったよ」
「凄い!おつかいが出来たんだ!」
「おぉ〜!!テストの結果が上出来じゃないか!」
通常僕らが子供たちに対して使う褒め言葉を並べてみました。
みなさんは使っていませんか?使いますよね。僕も使っています。
ではこれの何がいけないのでしょうか?
問題は…このような場面ばかりで褒めている…と、子供の心は満たされずに空っぽに近い状態になって大人になってしまうことなのです。
続きは明日にでも書きますね。今日も最後までお読み下さり感謝します。
2008年04月15日
7章〜褒められる中で育った子は、感謝することを知る
6章の最後に書いた励ましの持つ重要性を書いてみましょう。
ある少年の話です。
この少年はイタリア・ナポリのある工場で働いていました。
彼は声楽家になることに憧れていたのです。
しかし彼の最初の先生は彼を落胆させました。
「君の声はまるで雨戸に風が吹いて音になっているようだ!まるでダメだね。歌手にはなれないよ!」
しかし彼の母親は彼を抱いて褒めました。
「あなたは歌える。どんどん上手くなっているわよ」
母の褒め言葉と激励が彼の人生を支えました。少年は音楽を続けたのです。
母は少年のために、音楽の先生に支払うお金を得るために、はだしになってまで働き続けました。
少年の名前はエンリコ・カルーソー。
オペラ史上最高の、最も有名なテノール歌手の1人といわれた人物です。
カルーソー
イタリア・ナポリ生まれ。1894年から演奏家として活動を始め翌年ミラノで大成功を収めた。
1903年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で歌い、その年、米ビクター社でレコード録音を開始する。
カルーソーが行った大衆的なレコード録音と彼の並外れた声、特にその声域の広さと音量と声の美しさによって、彼は偉大なスター歌手となっていった。
彼が貧しさや落胆や、その後の苦しい訓練に負けなかったのも、彼の母親の激励のおかげであり、彼の支えとなっていたのです。
今日も最後までお読み下さり感謝します。



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