2008年03月27日

人生時計に例えてみる


人は必ず皆が同じ時間、同じ年齢で亡くなるわけではありません。
しかし現在は約80年と言われていますよね。
信長らの戦国時代が人生50年と言われていましたから、医療技術が進歩したとはいえ随分と伸びたものです。



今日はその人生80年を日時計に例えて見てみましょうか。





えっ?日時計に例える…

ハハハ。意味が分からないですね('-^*)


80年という長いスパンでモノを見るのはとても大変ですよね。
しかし1日の24時間で考えることが出来れば、逆に長期的な視野でもって我が子の成長を考えることが出来るものなのです。

引き続きお付き合い下さいねm(_ _)m





さて、80年を24時間で割ると、1年は僅か18分になります。
これを表のように各代表年齢で表してみると…











5年(歳)1時30分

10年(歳)3時

20年(歳)6時

40年(歳)12時

80年(歳)24時











80年で人生を謳歌したとして日時計が終わりの24時を差すようになっています。

どうでしょうか。








世間では大人の仲間入りを果たす20歳が夜明け前の午前6時になるのです。
大人になれば自覚や責任やその他、学生時代には無かった諸々のことが求められるようになります。
それが僕らの1日の始まりと言われる夜明けとほぼ同じとなるのです。

「さぁ、今日も1日が始まる!気合いを入れて頑張るゾ!」となるその感覚と、成人としてのスタート地点に立つ人生の指針が同じ感覚に思えてきませんか!

そして定年退職する60〜65歳で午後の6時、つまり18時〜19時半を指します。
それは仕事から帰宅し、ゆっくりと疲れを癒やしながら眠りに就く時間を迎えることになるのです。




どうですか?(^_-)










それが分かれば次は子供たちの年齢に着目してみましょう。







小学6年生の12歳で3時36分、中学3年生の15歳で4時半、高校3年生の18歳で5時24分にしかならないのです!





僕らが普通に眠りについている時刻なのです。









子供の寝相が悪いからといって将来を危惧する親は………居ませんよね(^_-)
子供が寝静まっているときの寝顔を見ると癒されるのが僕ら親ではありませんか。











あれも出来ない、何度言っても分からない、すぐに忘れる…etc。
でも睡眠中の人に期待はしませんし、させる人もいませんよね。


そう考えることが出来たあなたは、子供が出来ないことに対して以前のようにイライラを募らせたり子育てにプレッシャーを感じることも少なくなるはずです。










今日も最後まで目を通して下さり感謝します。
  

2008年03月25日

第5章〜6:子供の弱さを助長してしまう


「親の心が寛大であるときには、子供は自分の望みを発見出来る」


「心が寛大な親とは、子供が自分の期待と違った望みを抱くことを許せることである」



と書きました。では寛大な親の反対とはなんでしょうか。
おそらくそれは所有者の心であり、束縛する心であり、拒絶する心ではないでしょうか。

親から「この子はホント良い子でしてね」と言われた時、子供は自分自身の感情を押し殺して内面は空洞化しているときが多いのです。




「子供は親の所有物では無い!」と頭で認めていても、「こうなって欲しいな」と思うと…


「子供はいつまでも束縛出来るものでは無い!」と頭で認めていても、「まだ幼いから」と思うと…


「子供らしく伸び伸びと育って欲しい」と思っていても「子供の言い分」を黙殺していると…


寛大な心とは逆の、子供を所有し続ける束縛し続ける拒絶し続ける心になってしまうのです。








それは無意識の内とはいえ、子供がいつまでも弱くあることを望む親の姿になってしまいます。
そのような環境下で育った子供は、自分では何事も判断出来ないまま大人の階段を上っていくのです。


子供が親である自分の価値観を100%受け入れ、自分の言う通りになっていれば、どの親も機嫌が良くなるものです。
しかし子供は、いつまでたっても自分の中に頼りない気持ちを抱えつつ成長していくことになるのです。


子供の弱さを愛することが親の愛だと思っていると、子供はただその弱さを助長され、結果独立性を押し殺されることになります。
そのような親の下に育つ子供が、我慢強くなどなれるはずがないのです。

しかし弱さを愛してはいけない!と言っているのではありません。
弱さを愛することの意味をはき違えてはいけないと言いたいのです。








但し、5章のはじめで書いたように子供をありのままに受け入れるためには大変な忍耐力、寛大な心が必要となります。

ですから僕ら親がまず変わらねば、変わろうとしなければならないのです。











最後まで目を通して下さり感謝します。
  

2008年03月24日

第5章〜5:喧嘩の原因

親と子供が喧嘩をしている、お互いがお互いに対して心を通いあわせられない家庭というのはどのような状況でしょうか。


それはお互いに相手を自分の都合の良いように変えようとしているからなのです。

例えば親が権威ある職種に就いた場合、子供にもそのような道を歩ませたいと願うものではないでしょうか?

医者や社長などの類に就いている父親の子供が、ロックンローラーの道を目指す!と言ったとしましょう。
そこに軋轢(あつれき)の一つも生まれない父親が居る子供は幸せでしょう。




僕は「野球大好きオタッキーCB 」というとんでもないタイトルのブログを持つほど(^^;)野球好きです。

正直息子には野球の道を歩んで挑戦して欲しいと願う父親です。

しかし父の学校に行ってから変わりました。
このブログを立ち上げてから勉強していくにつれて更に変わりました。

もしこのあと、息子達がサッカー部やその他の道に進むようなことがあったとしても、僕はそれを快く承諾し背中を押してあげるでしょう。

以前の僕なら「それじゃお父さんはお前の力にはなれないぞ」とある種の脅しをかけていたでしょう。







そんな以前の僕のような親は、実は情緒的に未成熟な親なのです。
子供の成長を待てないのです。

元々子供は自己中心的で、自分の思いとは違う色々なことに対し我慢出来るものではありません。
しかしそんな子供の自然に耐えられない親が多いのではないでしょうか。
つい、子供の年齢にしては無理なことを要求してしまう…そのような自分になってしまってはいないでしょうか。











親の心が寛大であるときに、はじめて子供は自分の望みを発見し、自分の夢を追うことが出来るのです。

何故なら子供自身が、自分の望みが親の期待に反するのではないか?ということを恐れる必要が無いからです。



心が寛大な親とは、子供が自分の期待と違った望みを抱くことを許せる、ということなのです。











聖書からのみことばを載せます。









兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
律法の全体は、


「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」


という一語をもって全うされるのです。もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。



〜ガラテヤ人への手紙5章13から15節〜









肉の働く機会も、愛を持って動く機会も、どちらも自由だと聖書には書かれています。

そしていつも選ぶのはあなた自身なのです。

肉の行いとは…
不品行や汚れや好色はもちろん、敵意や争いや妬みや憤り、その他…と書かれています。

愛のある行動は御霊(みたま)の実と呼ばれ次のように書かれています。

愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の9つです。

これが子供に対する親の姿なのではないでしょうか。










今日も最後まで読んでくださり感謝します。  

2008年03月21日

第5章〜4:子供は親の生き方から学ぶ


ひどい嵐のため庭のトウヒの木が倒れました。家族みんなの心は沈みましたが、父親だけは違っていたのです!


クオモという人物の日記の続きです。


私たちは通りの真ん中に倒れた木を見下ろしていた。雨が降っていた。
すると3分後に父がこう言ったんだ。

「よしっ!こいつを引き起こすゾ!」

「何言ってんのパパ?根っこが地面から出ちゃってるんだよ!

「うるさい!引き起こすんだ!ちゃんとまた根づくさ。」



その言葉にどう答えていいか分からなかった。父はひどく断固とした姿勢を取っていたからだ。
そこで私たちは父と共に家に戻り、あるだけのロープをさがしたあと、アスファルトに倒れたトウヒの木のてっぺんにロープを結び付けた。
父と私が家の側からロープを引っ張り、兄弟フランキーが雨の降る通りで木を押し上げた。
すると瞬く間にトウヒの木は再び真っ直ぐに立ったのだ!

雨がまだ降り続く中で、父は根っこの下の土を掘り、その穴が段々広がるにつれて、木は少しずつ沈んで安定していった。
それからみんなで根っこに土をかぶせ、上に石を乗せて木が動くのを防いだ。
父は地面にくいを打ち込み、幹からロープを張った。
2時間ぐらい過ぎていただろうか。曲がった枝をロープで伸ばし、真っ直ぐに立ったトウヒの木を眺めて父は言った、

「心配するな、またちゃんと育つさ」








引き出しから見つけた父の名刺を見つめながら、私クオモは声を上げて泣きたかった。
いま、あの家の横を通ると高い真っ直ぐのトウヒの木が見える。
65フィート(約20m)はあるだろう。
アスファルトに鼻をつけたことなど、一度も無いような顔をして、そいつは天に向かってすくっと立っている。

私は父の名刺を引き出しに戻し、なにくそ!と力を込めて閉じた。選挙運動に戻るのが待ちきれなかった。









クオモはその後、見事にニューヨーク州知事選挙に勝利しました。

子供というのは親の直接の説教よりも、親の生き方から学ぶのです。
子供は親から我慢強くなければいけない!と教えられて我慢強くなるわけではないのです。







クオモの日記の後でマックギニス氏はこう締めくくっています。








『このような頑張りは無から生まれない。胸に燃える炎を抱き、しっかりと家族を導くことわ大切にしている父親だけが、息子に頑張りを教えることが出来るのである』。












今週最後も聖書からのみことばで締めたいと思います。








わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの身を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることが出来ないからです。


〜ヨハネの福音書15章5節〜








父親としてのあなたが大きな木の幹です。
あなたの子供たちは枝であり、枝自体では何をすることも叶いません。
しかし木である父親がしっかりとしていれば、枝には多くの良い実がなるのです。


同様に天の神は父として僕らの木になってくれます。
僕らがその枝としてしっかり繋がっていることの大切さを聖書は教えてくれているのです。
  

2008年03月20日

第5章〜3:1982年NY州知事選挙


1982年、クオモという人物がニューヨーク州知事選挙に立候補したときの話を書いてみましょう。



対立候補は圧倒的な資金力をもっておりクオモは、
「きっと負けるだろう…」
と何度か思ったと語っています。
そんな運動期間も残り少なくなったある夜のことです。
クオモは気落ちしたまま日記をつけようとしていました。鉛筆を捜して机の中を見ると、父親の古い名刺が出てきたのでした。


「その名刺を見ているうちに父親の思い出が蘇ってきた。
父親はアメリカに渡ってきたときには英語を話せず、やっとの思いで下水溝を掘る仕事に就いたんだ。
最後に小さな24時間営業の食料雑貨店を手に入れ、移民の一家の僕らはそこの裏で長年暮らした…」

父親の名刺をじっと見つめながらそんなことを思い出したクオモは、日記に続いて次のように書き記しました。



「私がこう言ったら、父は何と言うだろうかと思わずにはいられない。
『もう疲れたよ』あるいは…万が一にも『もう気力がないよ』と言ったら…」


とりわけある場面のことがはっきりと蘇る。
私たちの家族は店の裏からホリスウッドに引っ越したばかりだった。はじめて自分たちの家を持ったのである。
周囲にはいくつかの土地もあり、立ち木まであった。そのうちの一本は大きなトウヒの木で、40フィートはあっただろう。

(40フィートは約12m)

そんな私たちが引っ越してきてから一週間足らずの頃、ひどい嵐があった。
その晩私たちが(食料雑貨)店から帰ってくると、そのトウヒの木がほぼ完全に地面から抜けて前に倒れていた。
その強い枝が道のアスファルトの上で折れ曲がっている。
私たちのトウヒの木が嵐に敗れ、まるでマットに頬を埋めているさまを見ると、みんなの心は沈んでいったんだ。


しかし…しかし父は違った!










移民してきたクオモ一家。他人には分からない苦しみがあったことでしょう。
それを覆す希望に満ちた新しい生活と家を手に入れた矢先、家と庭の象徴である大木が倒れたのでした。
私たちには成功は与えられないのか…私たちはこのようになる運命なのか…
そのようなマイナスの気持ちが駆け巡っていたでしょう。

しかしクオモの父だけが違っていたというのです。いったいクオモの父はどうしたのでしょうか。





長くなりますのでこの続きは明日書きますね(^_-)
  

2008年03月18日

第5章:2〜力の源はいつも父親


子供を頑張り強くするものは何だと思いますか?



ここに妻の看病に疲れたある人の話を載せてみましょう。





もうどれくらい妻の介抱をしているだろう。
僕はこれに今は耐えているが…果たしてどれだけもつことか。
もちろんこんなことは妻には言えない。だがもう、僕は精も根も尽き果てるような気分だ。



たが…そのように思っていた僕の脳裏に突然、忘れかけていたある出来事が浮かんだんだ。
それは僕の父の姿だった。



そう、あのとき僕は10歳ほどだっただろうか。僕の母も重い病気にかかっていたんだ。
ある真夜中、僕は目を覚まして水を飲みに行った。父母の寝室の前に来たら灯りが見えたんだ。
僕は中を覗いてみた。母はベッドで横たわり、父はベッドの脇で、バスローブ姿で腰掛けていた。母は寝ていた。
僕は部屋に入りこう叫んだ、
「パパ、どうしたの?何故寝ないの?」



父は私をなだめてこう言ったんだ。


「何でもないよ、安心してお休み。ただパパはママについてあげてるだけさ」










今の僕もあの頃の父と同じような役目を持っている。そして何故かあの頃の父に比べたら耐えやすいことのように思えた。
まるで遠い過去から、あるいは体の中から、エネルギーの泉が呼び起こされたかのようじゃないか!











彼はその遠い日の出来事を思い出すたびに、自分でも知らないうちに、また頑張ろうという気力が戻ってくるのです。不思議に元気が出てくるのです。
部あの屋の灯りと温もりは何年経っても、彼の中で色褪せることなく、記憶の中で生き続けていたのです。












聖書からのみことばを載せます。








『さあ、私の父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、
わたしが旅人であったときーわたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、
わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』




〜マタイの福音書25章34から36、40節〜











あなたにとって最も小さい者たちは…子供ですよね。




今日も最後まで目を通して下さり感謝します。
  

2008年03月17日

第5章:寛大さががまん強さを生む


おはようございます。

今日からは第5章と称して書いていきたいと思います。


5章全体のテーマは「心が寛大な親のもとで育った子はがまん強くなる」です。









「水泳教室がいくつもあります。そのたびに1年生の選抜があって、僕はよくそれに出ていました。
父はいつもそれに応援に来たものです。いつも必ずね。
兄弟全部に父はそうしていました」







これは後に偉大なアメリカの大統領になることとなるケネディー少年が語った彼の父親の姿です。

マックギニス氏はケネディー氏の言葉の解説わ次のように言っています。

「子供を励まして出来るだけ多くの目標に挑戦させ、こんな形で付き合ってくれる父親がいたら、子供の将来は大きく違ってくるだろう」






しかしこのようなことはちょっと考えるだけでも大変なことです。
子供がしたいことを励ますのであって、親が子供にさせたいことを、やるように励ますのではないからです。



子供を自分の望むように変えようというのではないのです。





子供を励ますことを、自分の望むように変えることとを勘違いしてはいけません。
子供を変えようとするのではなく、ありのままに受け入れるためには、大変な忍耐力と寛大さが必要です。


自分の考える子供像を子供に押し付けないと言うことなのです。





これは子煩悩と子供を理解することとは別であるということでもあります。

子供はこうあるべきだという子供像を親は持っています。
子供はこうある「べき」だと思い込み、そのように子供を変えようとするのが多くの親でもあるでしょう。

その「べき」が、子供の自然な姿に従ったものではなく、親にとって都合の良いものである場合、これでは単なる子煩悩でしかないのです。






心の寛大な親のもとで育った子供は、我慢強くなります。

他人の考えなどに寛容なことであり、他人の間違いなどを我慢することをまずは僕ら親が意識して実行していかなければならないのです。










聖書からのみことばを載せます。





心に楽しみがあれば顔色も喜ばしい、心に憂いがあれば気はふさぐ。

〜箴言15章13節〜








子供の顔色を喜ばしいものにするのも、気をふさいでしまうのも、僕ら親にかかっているのです。








今週も共に学べることを感謝します。